皆がひとつになれるバンド
音楽の話題で盛り上がるのは意外と難しいが、スペイン語圏、特にラテンアメリカでこのバンドの話ならまず間違いないというのがある。「Soda Stereo」(ソーダ・ステレオ)。1982年にアルゼンチンで結成された伝説のスリーピースバンドだ。残念ながら日本では知名度がほぼ0、でもそれは日本の音楽シーンがガラパゴスだからであり、スペイン語圏を中心に国際的に活躍したバンドということで知っていて損はない、というかむしろ知っていないと「えー?知らないの?」ってレベルだろう。
どれほど日本でこのバンドが認知されていないかが分かるのが、2014年にバンドのリーダー、Gustavo Cerati(グスタボ・セラティ)が4年間の闘病生活(脳卒中による植物状態)の末に死亡したニュースが世界中で流れた時に、日本では「誰それ?」状態だったことである。世界の有名人の死亡ニュースにもついていけてない日本。。。
代表曲「De música ligera」
このバンドの代表曲といえば、「De música ligera」。
中高生で「バンド始めました!」ていう子たちが、最初に練習したいって気になるような明快なギターリフから始まるこの曲。これぞ軽音楽、って感じのキャッチーなメロディで、1990年に発表されて大ヒットし、ライヴでも最高に盛り上がるSoda Stereoの代表曲の一つ。1997年の解散ライブ(El Último Concierto)でこの曲の演奏後にGustavo Ceratiが言った“Gracias… totales” (ありがとう、全てに)は、ラテンアメリカのロック史に残る伝説のワンシーンになっている。
タイトルの「De música ligera」を直訳すると「軽音楽の」となる。「軽音楽の何やねん?」とツッコミたくなるタイトル。La música ligera = The light music (ザ・軽音楽)、ではない。歌詞は8行程度で短く、一瞬、女性への愛を歌っているようにも見えるはっきりしない歌詞だが、サビの部分を見ると軽音楽に対する愛を歌っていることが分かる。
■サビの部分■
De aquel amor de música ligera
Nada nos libra,nada más queda
軽音楽へのあの愛への
私たちを解放するものは他にない、他に何も残っていない
軽音楽への愛とアルゼンチンロック、Rock en Español
「軽音楽」とはポピュラーミュージックなど、商業音楽、大衆音楽といわれるもので、純クラシックに対する用語として使われることが多い。「軽い」という表現が用いられるだけあって、音楽的にはちょっと見下されているニュアンスがある。
が、この「軽音楽」、特にアルゼンチンでロックの果たした役割というのはちょっと特殊だ。1976年から1983年まで、アルゼンチンは軍事独裁政権下にあり、左派的な思想統制のために一般市民の拉致、拷問、殺害が行われていた。それも大々的に行われるのでなく、ある日突然、ひっそりと家族や友人知人が失踪する、という形で、3万人もの市民が密かに政権によって殺されていたのだから、日常生活がどんなに息苦しかったかは想像に難くない。
そんな中、若者たちが自己表現できる音楽が唯一ロックだったと言うと不思議な感じがするが、音楽の中でもロックは特に下の下とみなされ、政権の監視が比較的ゆるかったようだ。
70年代~80年代のアルゼンチンのロックミュージシャンは巧妙な隠喩で表現した歌詞をもつ洗練された曲を次々と発表し、それにリスナーたちが共感していた。逆説的だが、価値が低く脅威とみなされなかったがゆえに、細々と生き延びたロックに文化の花が咲いた、という感じだろうか。
そんな暗黒の独裁政権時代の終盤に結成されたSoda Stereoが、民主化後の1990年に発表した曲がこの「De música ligera」。Soda Stereoはラテンアメリカで初めてグローバルに活動したバンドで、SodaMania(ソーダマニア)と呼ばれる熱烈なファンを各地に生み出した。アルゼンチン発のロックを世界中に知らしめると同時に、アイドル化・大衆化したように見なされる部分もあったかもしれない。
■曲の出だし■
Ella durmió al calor de las masas
Y yo desperté queriendo soñarla
彼女は大衆の熱気で眠っていた
そして私は、彼女を夢に見たくて目覚めた
Ella(彼女)はもちろん、女性名詞「La música ligera」(ザ・軽音楽)のことだ。70年代~80年代の批判的で骨のあるアルゼンチンロックの伝統を想うと、ポップでキャッチーな売れる音楽で大衆が熱狂的になっている現状を比較してしまう。
Luis Alberto Spinetta(ルイス・アルベルト・スピネッタ)やCharly García(チャーリー・ガルシア)などの先達アルゼンチンロック巨匠のライヴにも通っていたGustavo Cerati。自らも音楽をするにあたって、彼らの音楽からの影響や憧れは大きかった。
■こう続く■
Algún tiempo atrás pensé en escribirle
Que nunca sorteé las trampas del amor
少し前に、私は彼女に手紙を書くことを考えた
愛の罠を回避したことがなかったことを
愛の罠、なんともとれる表現ではあるものの、ロックを愛するがゆえにロックを純粋に楽しんでいることを指しているのか。批判精神のないロックに甘んじていることを懺悔しているのか、もちろん、純粋に音楽を楽しめることが平和の証ではあるのだが。
■サビのあとの2番■
No le enviaré cenizas de rosas
Ni pienso evitar un roce secreto
彼女に薔薇の灰を送らないだろう。
それに、秘かな接触を避けるつもりもない。
愛の象徴である薔薇、その愛が燃え尽きることはないだろうし、アルゼンチンロックの伝統とのつながりを切る気もない、という意思表明にも読める。
■リフレイン■
Nada nos libra,nada más queda
Nada más
Nada más queda
私たちを解放するものは何もない、他に何も残っていない
他には何も
他には何も残っていない
音楽(ロック)だけが、自分たちを解放してくれると繰り返してこの曲は終わる。
まとめ
Soda Stereo結成8年目(解散の7年前)、全盛期に放ったヒット曲「De música ligera」。アルゼンチンロック史とSoda Stereoの軌跡や時代を想像して拙訳を交えてみた。アルゼンチンロックらしく、2重の意味をあわせもつ複雑な歌詞のため、絶対に正しい解釈とは言えないが。
一つ思うのは、「軽」音楽なんてものはあるのかということ。音楽の価値を「重」「軽」「上」「下」などとカテゴライズすることが茶番なお遊びと自己満足にすぎないこと、多くの人の共感を呼び起こせる音楽が本当に素晴らしい音楽なのだという当たり前のことを、この曲はもう一度思い起こさせてくれる。
■YouTube
・オリジナル
https://www.youtube.com/watch?v=T_FkEw27XJ0