スペイン語の時制をイメージ図で見てみたら・・・ 接続法の時制 vol.1(現在・未来)

スペイン語の時制をイメージ図で見てみたら・・・ 接続法の時制 vol.1(現在・未来)

こんにちはちりめんじゃこです。

直説法の動詞の時制は以前イメージ図を描いてみました。接続法にも(現代でも使われるスペイン語には)時制が4つあります。

ちょっとややこしいですが、今回は接続法もイメージ図を書いてみました。(あってるのかな・・・)

接続法について

接続法ってなんだっけ・・・

なんだかちょっとややこしい感じがして、つい避けてしまうこの「接続法」。でも結構、というかしょっちゅう出てくるんで、いつまでも逃げているわけにもいかない。。。

adakoda

ひとことで言えば、接続法を使っている=「想像の世界の話」を語っている 、ということになるでしょうか。

「直説法」が事実を淡々と述べているのに対して、「接続法」は希望とか妄想とか、事実ではないことを述べていると文法書には書かれています。

ということは、直説法だけで話しているといつも自信満々の人だと思われてしまうということか?!

単に「~じゃないかと思うんだけど。。。」のような自信ない事柄を”断定”して言ってしまうことになるのか??

うーん、それはまずいかも。。

接続法の時制

「頭の中、空想の世界の話」といっても、過去、現在、未来といった時間はあります。

接続法の時制としては
接続法現在
接続法現在完了
接続法過去
接続法過去完了

4つがあります。(接続法にも未来とか未来完了というのがあるのはあるそうですが、今では法律文や慣用句くらいでしか使われないそうなので、ここではカット)

「○○完了」は、おなじみの「haber」の活用形+過去分詞となります。

ということで、ここからは接続法の時制を(ちょっとややこしいけど)イメージ図描いてイメージしてみました。
(自分でも完全に納得していないので、ちょっと怪しいところあり)

最初に断っておきますが、話を単純化するため、接続法の使われ方を「主動詞 + que 従属節」の形式で限定しています。

「dudar(主動詞:疑う) + que 従属節(接続法で語られる部分。=疑っている事柄)」、のようなイメージです。

接続法現在

右半分は頭の中の事柄(従属節:接続法)を、左半分はその事柄を疑いうる時(主動詞)

setuzoku1

接続法現在で表される頭の中の時制は「現在と未来」

その頭の中の事柄は「現在」「現在完了」「未来」「未来完了」の時点で考えることができる

現在と関連していて、完了を意識していないイメージといったところか。

具体的にどういう状況を表すか、(日本語で)考えてみると・・・

[プリンをつまみ食いする]
●現在の妄想
ミゲルはプリンをつまみ食いする、と私は疑う(主動詞:現在)
ミゲルはプリンをつまみ食いする、とずっと疑っていた(主動詞:現在完了)
ミゲルはプリンをつまみ食いする、と母は疑うだろう(主動詞:未来)
ミゲルはプリンをつまみ食いする、と(未来のその時点で)母は疑っているだろう(主動詞:未来完了)

●未来の妄想
留守中にミゲルはプリンをつまみ食いするだろう、と私は疑う(主動詞:現在)
留守中にミゲルはプリンをつまみ食いするだろう、とずっと疑っていた(主動詞:現在完了)
留守中にミゲルはプリンをつまみ食いするだろう、と母は疑うだろう(主動詞:未来)
留守中にミゲルはプリンをつまみ食いするだろう、と(未来のその時点で)母は疑っているだろう(主動詞:未来完了)

主動詞が未来完了の状況が難しい。未来のその時点、がどんな時なのか、とりあえずここでは深追いしません。ミゲルのためにも。

接続法現在完了

setuzoku2

接続法現在完了で表される頭の中の時制は「現在完了と未来完了」

その頭の中の事柄は「現在」「未来」の時点で考えることができる

現在と関連していて、完了を意識したイメージといったところか。

[またもやプリンをつまみ食いする状況]
●現在完了の妄想
ミゲルがプリンを今つまみ食いした、と私は疑う(主動詞:現在)
ミゲルがプリンを今つまみ食いした、と母は疑うだろう(主動詞:未来)

●未来完了の妄想
私が帰ってくるまでにミゲルがプリンをつまみ食いするだろう、と私は疑う(主動詞:現在)
私が帰ってくるまでにミゲルがプリンをつまみ食いするだろう、と母は疑うだろう(主動詞:未来)

ここまで書くといやしい感じがしてくる。。。例が悪かったな。。

まとめ

手持ちの文法書(「わかるスペイン語文法」etc)とにらめっこしつつ、どういう状況で使われるかを考えているのですが、
分かったような分からないような。

プリンのつまみ食いを例に考えることに無理があるのかもしれないですが、どういう「時」の妄想どういう「時」に想像するのか考えてみました。
どんな時にこの「接続法現在」「接続法現在完了」を使うべきか、うすぼんやりですがイメージがわきかけてるけど、まだ不十分だなぁ。。