こんにちはちりめんじゃこです。語学するならその国の歴史とか文化等に関連する本を読むのがいいと聞いたので、暇を見つけてちょこちょこと読んでいます。
ちょっとした時間に取り出して読むにはやっぱり文庫本!ということで、今日は最近読んだスペイン関連の文庫本の中から自分的ベスト5を書いてみることにします。
なお、本は全て日本語で書かれていて、古い本もあります。
1º - 建物から感じる歴史「カラー版 スペイン・ロマネスクへの旅」
<<本データ>>
「スペイン・ロマネスクへの旅―カラー版」
池田 健二 (著)
中公新書、2011年発売
221ページ
カラー写真が美しい文庫本で、教会はもちろん、背景の青い空や緑からスペインの雰囲気が伝わってきて思わず手にとりました。
9世紀頃~12世紀くらいまでの「ロマネスク建築」の建物(教会や修道院)を、カタルーニャ地方からアラゴン、アストゥリアス、そしてサンチャゴ・デ・コンポステラのあるガリシアまで巡っていきます。
最初はヴォールト、とかクリプトといった建築用語も少し出てきて慣れないと読みづらいですが、巻末の用語解説が図入りで分かりやすいので心配要りません。
本文の建物の解説はスペインの歴史も交えつつ語られます。西ゴート王国~イスラム国家~キリスト教国家の複雑な歴史が一つの建物に凝縮されていたりするんですが、読み進むにつれて、シロウトがさらっと写真を見ただけでは全く気づけない歴史の奥深さに気づかされます。
その中で特に気になった建物は、
バルデディオスの「サン・サルバドール教会」、サン・ミゲル・デ・エスカラーダの「サン・ミゲル教会」、そしてエイレの「サン・ミゲル教会」です。
バルデディオスの「サン・サルバドール教会」はアストゥリアス王国最後の王、アルフォンソ3世によって893年に献堂されるんですが、西ゴート王国の伝統を受け継ぎつつ、モサラベ(ムスリム支配下のキリスト教徒)建築の影響を受けていたりと、9世紀後半ですでに異文化が融合してたのか、と驚いた教会です。
さらにこの教会を献堂したアルフォンソ3世は晩年息子達によってこの教会に幽閉されていたりと、ドラマチックないわくがあって驚き2回。(素人目には)外見は妙に素朴な家畜小屋と合体した家屋に見えたりするんですが(すいません。無知は恐ろしい・・・)、内部はイスラム風幾何学模様が白壁に映えてたりして不思議と美しかったりします。
最後に内部と外部の写真を見比べると「ここに隠し部屋でもあるんじゃないか」とかいろいろ妄想を膨らませたりして楽しめます。
サン・ミゲル・デ・エスカラーダの「サン・ミゲル教会」は外見がイスラムの宮殿か?と思うような美しいモサラベ様式で、キリスト教徒がキリスト教信仰のために立てた教会なのにイスラム風なところに歴史の複雑さを感じます。
エイレの「サン・ミゲル教会」は彫刻が印象深すぎる。ケルト人が多いといわれるガリシア地方だけに、彫刻の雰囲気が何かしら他の地域と一線を画しているのが面白いのです。なんかアニミズム的雰囲気だな、と思いきや、この教会、ロマネスク様式に建て替えられる前はモサラベ様式だったらしく、そこも興味をそそるところです。
歴史好き、謎解き好きな人だと、この本、けっこうはまるんじゃないかと思います。そして色々知ると実際に行って見てみたくなります。
通常の文庫本(紙)だけでなく、Kindle版もあります。
2º - 旅行に行く前に読んでおきたい「アルハンブラ物語(上・下)」
<<本データ>>
「アルハンブラ物語(上・下)」
W. アーヴィング (著)、 平沼 孝之 (訳)
岩波文庫、1997年発売
上巻367ページ、下巻442ページ
「Quien no ha visto Granada, no ha visto nada.」(グラナダを見たことがない人は、何も見たことがないのも同然)
スペインに行くなら、一番に見たいのはやっぱり「アルハンブラ宮殿」!です。
19世紀アメリカの外交官だったW.アーヴィングが書いたアルハンブラへの旅行記、滞在記なんですが、語り口が個性的で最初は?だったんですが、だんだんとこの幻想的な雰囲気に飲み込まれ、気がついたら夢中になって読んでました。
「W.アーヴィング自身の経験」(19世紀スペインって、ラバ?馬?に載って盗賊に注意しながら旅行するのか、とか)、アルハンブラ宮殿が建った頃の「歴史」、そして「伝説」が織り交ざって語られていて、色んな時代を交互に行き来する感覚にとりこになりました。
この本を持って実際にアルハンブラを訪れたら、本の中の時間にさらに「今」がプラスされて、それはさらに奥行きの深い旅行になるだろうな~
なんて想像しちゃいます。
もちろんこの本の中に出てくるいろんな伝説(強欲な牧師が悪魔の馬かなんかに追いかけられる話とか、モーロ人の財宝の話とか)自体も、知っておくと旅をさらに面白くしてくれると思います。
旅行カバンには絶対入れていこう!と思った1冊、いや2冊でした。(いつになったらその日がくるのか・・・)
3º - すらすら読める「物語 スペインの歴史」
<<本データ>>
「物語 スペインの歴史―海洋帝国の黄金時代 」
岩根 圀和 (著)
中公新書、2002年発売
304ページ
今回ご紹介した5冊のうちでは、一番さっと読めた本です。そのくらい、読みやすく書かれてます。
「物語」とついているだけあって、「物語」風に書き出しが始まります。
スペインの「通史」ではなくて「海洋帝国の黄金時代」なのでフェリペ2世の時代がメインとなっています。
高校時代に教科書でさらっと学習した「レパントの海戦」や「無敵艦隊がイギリスに敗れた話」って、大きな話なのにもう一つ大雑把過ぎて興味が持てなかったんですが、この本で裏話まじえつつ読んで、なるほどこうなるはずだ、って腑に落ちました。
「ドン・キホーテ」のセルバンテスもこの時代の人で(高校の教科書読んでるだけだと、こういうリンクってなかったなー)、捕虜になったいきさつや、その時代の捕虜の暮らしぶりとかも興味深かったです。こういう本は高校時代に読みたかったな。
記述は少ないですが、第一章の「スペイン・イスラムの誕生」は先の「アルハンブラ物語」に出てくる「ボアブディル王」とかも出てきて、少し時代的な整理ができます。
スペイン史の知識がほとんどない私は、いきなり「アルハンブラ物語」とか「スペイン・ロマネスクへの旅」とか読んで最初ちょっときつかったですが、こういうざっと読める(それも教科書的でない)本を最初に読んでおくと、他の本も読みやすくなりそうです。
通常の文庫本(紙)だけでなく、Kindle版もあります。
4º - 南米の・・・「インディアスの破壊についての簡潔な報告」
<<本データ>>
「インディアスの破壊についての簡潔な報告」
ラス・カサス (著)、 染田 秀藤 (訳)
岩波文庫、2013年発売
352ページ
コロンブスがアメリカ大陸上陸、そしてその後は・・・ときたら、インカ帝国、アステカ帝国の滅亡、インディオの虐殺、と血なまぐさい歴史が続くので、南米の歴史関連の本を読むときは、それなりに気持ちに余裕があるときにしています。。。
ラス・カサスがすごいのは、「インカ帝国が滅亡」させられ「インディオの搾取」が当然とされたまさにその時代に「(人道的観点から)これはおかしい」と声を上げたところ。時代の価値観に真向対立し、自分も命を狙われながらも時代を変えていこうとするところに、スペイン人的な情熱というか、革命的なところを感じます。
とはいえラス・カサスも最初は従軍牧師として「征服軍に加わっていた」し、この「インディアスの破壊についての簡潔な報告」もラス・カサスの死後に近隣ヨーロッパ諸国がスペイン批判に利用したりと、「ラス・カサス万歳」と単純にはいえない部分もあります。
本文のラス・カサスの主張は、国王カルロス1世やフェリペ2世のこころを動かすために、インディオに対する残酷な拷問や強制労働の様子がこれでもか、というくらい続きます。(実際の歴史もこれでもか!というくらい酷かったのは間違いないでしょう)
ちょっと話はずれますが、この辺の記述って、昔の「報告」と現在の「報告」の作法の違いが対照的だなー、って思いました。
現代の「報告」は「数字」やら「客観性」が極端に重視されるので、「私が見た事実」とか言っても相手にされなかったりします。が、この時代だと「書き手への信頼」が「報告書の信憑性」に直結しているのか、「私(又は信頼のおける人物)が見た事実」が通用するんですね。
この辺のギャップって、その時代の人の「感覚」なんでしょうね。こういう「感覚」までは歴史の教科書には書かれないので、やっぱり昔の書物も読むことでその時代を知ることができると思います。
また、この文庫本、ラス・カサスの本文が重要なのは当然ですが、74ページに及ぶ翻訳者の「解説」も必読だと思います。
ラス・カサスの証言を読むだけでは分からないその時代の国際状況などが詳しく解説されてあり、南米大陸の植民地化に対して、自分には目から鱗の視点でした。
5º - 400年前の日西「支倉常長―慶長遣欧使節の悲劇 」
<<本データ>>
「支倉常長―慶長遣欧使節の悲劇」
大泉 光一 (著)
中公新書、1999年発売
207ページ
「日本スペイン交流400周年」のきっかけとなった1613年の支倉常長の慶長遣欧使節が「悲劇」だったの?!といういささかショッキングなタイトルのこの本。
伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節は「徳川幕府転覆を図るため」スペインと同盟を結ぼうとする裏の使命があった、というのが著者の見方です。
確かに、メキシコとの直接通商交渉も失敗し、せっかくキリスト教に改宗までした支倉常長が帰国した時の日本はキリシタン完全弾圧の世の中に変わっていて、支倉常長は晩年は肩身が狭かった、となると確かに悲劇。
そもそも使節派遣前からキリシタンを弾圧し、長崎でイエズス会宣教師を「スペインは日本を征服しようとしている」という理由で処刑しており、それなのに使節を派遣する、と金と時間を掛けておきながらなんだか一貫性がないなーと感じてはいました。
人生50年といわれる時代に、慶長遣欧使節出発時43歳だった支倉常長。なぜこの人選だったかというくだりでは、父親が起した領地争いの巻き添えで一旦領地を取り上げられてしまったが、遣欧使節の大使に任命する事で「減刑」されることになったらしいことが記されており、この消極的な雰囲気とあわせてものすごい複雑な気持ちになります。
しいて言えばこの時代に大国スペインおよびローマへ行って、普通の日本人が体験しないことをした、というのは(他人事の言いっぷりで申し訳ないですが)凄い事だよ!ってことになるのでしょうが、スペインでの生活の最後のほうではかなり苦しい暮らしぶりみたいだし、やっぱりかなり苛酷だったんじゃないかとしかいいようがない。
7年も日本から離れ、3年近くヨーロッパにいながら、支倉常長自身はスペイン語を習得したということはなかったようで、本人の心境もいろいろ考えてしまいます。
400年も前に渡航して(状況が不利なのにも関わらず)国交を開こうと尽力した支倉常長の思いや、スペインが(オランダなどの他国に比べて)あれほどまでに「キリスト教」にこだわる姿勢とか、いろいろ考えさせられます。