以前、「ポルボロン」というお菓子を調べたときに出てきた、「スペイン異端審問」。
中学、高校の世界史の授業では全然記憶がないので、どういったものかよく分からなかったんですが、
ちょうどその関連の本があったので読んでみました。
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『異端審問―大国スペインを蝕んだ恐怖支配 (INSIDE HISTORIES) 』
異端審問―大国スペインを蝕んだ恐怖支配 (INSIDE HISTORIES)
かつては、「太陽の没することなき帝国」と呼ばれたスペインですが、その没落の原因のひとつとして、この「異端審問」を発端から終焉までさまざまな資料をもとにたどっていったのがこの本。
分厚いけど、迫害を逃れるためポルトガルから南米に渡った人物の話など詳細な事例が多く読みやすい上、当時の様子がだいたい網羅されているのではないかと思います。
スペイン異端審問とは・・・ざっくりまとめると、
●教皇シクストゥス4世がスペイン国王に異端審問設立を許可した1478年から、異端審問を廃止する法律が可決された1834年まで、実に約350年間も続いたという制度。(しかも、スペインだけでなく、隣国ポルトガルおよびインド、中南米まで行われていた!)
●異端審問というと、中世の魔女狩り(いわゆる中世異端審問。12世紀頃~)や、ガリレイ裁判のような”異端”とされる思想を取り締まるローマの異端審問(16世紀)なんかが有名です。が、これらは「キリスト教の教義に反するものを裁く」ために教皇が主導した異端審問。
しかし、スペイン異端審問は「王」が主導する非常に「政治的」なものだった点で、他の異端審問とは性格が少し異なっている。
●異端審問の対象となったのはほとんどが「コンベルソ」というキリスト教に改宗したユダヤ人、次いでモリスコ(キリスト教に改宗したイスラム系の人々)、キリスト教徒でもルター派や同性愛者など社会的な少数者といった人々も含まれている。
●要するに国家統一と王権強化のために、社会的弱者をスケープゴートにして国家としてのまとまりを維持しようとする、
近代的な迫害・差別制度、全体主義の先駆け、と言われています。
興味深いのは、この異端審問制度も、最初の導入時はいろんな反発があったんですね。
さまざまな人が抵抗してる様子がこの本の最初のほうで出てきます。
なのに、だんだんと国民もそれが当たり前、って感覚になって300年以上も(迫害対象をいろいろ変えつつ)続いてしまうというのは、ほんと、おっソロしい。。。
また、言うまでもなく、金融や高い文化・学術知識をもっていたユダヤ人や、農業技術に長けたモリスコたちを追い出したことで、スペインの国力はガタッと落ちたようで、国土の荒廃甚だしくなったようで。
極端な迫害によって多様性を失うと、国って滅びるんだなぁ・・・、ってのが、読み進めるにつれ、まざまざと浮かび上がるようです。
レコンキスタ完了以前のイベリア半島の様子は、ちょっとだけこの本にも出てますが、
エンリケ4世の治世(1454~1474年)では、モーロ人(イスラム教の人々)の服装が大流行しており、王も自分の子供の結婚式にも貴族にモーロ人風の格好をしてこいとかいう時代だったそうだし、
コンベルソは集団全体として「アグード(agudo。賢い)」という評判を得ていたり、
異教徒間でいろいろといざこざはあったにしろ、宗教や人種に対してそれなりに「寛容な」社会であったといわれています。
なんでこんな異端審問なんていう極端な事になったのか。直接はその背景はあまり語られてないけど、
大航海時代の幕開けや統一国家の出現という時代の大きな転換点で、これまでの価値観が壊れ変化する中での人々の漠然とした不安とか、
やはり貧富の差の拡大なんかがあったんじゃないかと、いろんな事例の間で想像しました。
こーいうと、なんか現代もおんなじような状況かも?!ん。なんか怖っ。
ちなみに、ラードを使うポルボロンでユダヤ教徒、イスラム教徒を見つけようとした直接的な事例はありませんでしたが、
ユダヤ教徒やイスラム教徒に豚肉料理や断食時の間食をわざと勧めたりする嫌がらせが多数行われていたらしいので、
ポルボロンもそういう使われ方をしてた可能性はありますね。
『離散するユダヤ人』
1492年といえば、フェルナンド2世&イサベル1世により、グラナダ王国占領、レコンキスタ完了、コロンブスのアメリカ大陸到達、が有名ですが、
その裏で、スペインにいたユダヤ人が追い出される(または改宗させられる)、という出来事もあった。
その追い出されたユダヤ人たちがどんな場所に移り住み、どんな思想を発展させていったりしたか、というのを、著者が実際に現地を旅しながら追体験する、という本。
北アフリカ(マラケシュ、カイロ)、イスラエル(エルサレム、サフェド、ヤッフォ)といった土地を巡りながら、「カバラ」の思想の発展や、カバラがヨーロッパの思想に与えた影響等がいろんな方面から語られるのですが、歴史のきょーかしょでは分からない思想史の背景やらに触れられます。
思想史の話としては、『異端審問―大国スペインを蝕んだ恐怖支配 (INSIDE HISTORIES)』にも出てきますが、
迫害されスペインを脱出したユダヤ人の子孫にモンテーニュやスピノザなどの哲学者が出てくるいきさつも出てきてなるほど!となったんですが、この本はまたより深いです。
文庫なので薄いんですけど、カバラをはじめ、出てくる人名等(イサーク・ルリア、とか)になじみも知識も全くなかったので、ちょっと難しかったですが、「旅行記」としての文体になっているので文章自体は難しくはないです。むしろ読み進めていくにつれて、有機的に話がつながっていき、だんだんとイメージがつかめてくる感触が、いつもの読書とはちょっと違う面白さを与えてくれました。
旅なので旅ならではのエピソードもいろいろ語られてるんですが、一番強烈だったエピソードはやっぱり、サフェドにあるイサーク・ルリアの墓守の話。
その墓守、神のお告げを受けて墓守になったんですが、墓守になる以前の職歴やそのお告げのタイミングが「えぇ!?あの事件の?」みたいな感じで印象が強すぎ。
現代でも「お告げ」ってあるんだなぁ、なんて思ってしまいました。
『ユダヤ人と近代美術』
美術好きの人にはオススメです。
絵がすべてオールカラーで載っているので、鑑賞しながら読めて理解しやすい!
偶像崇拝の禁止って、イスラム教徒だけかと思ってたんですが、実はユダヤ教も禁じられていたんですね。
なので近代になるまでユダヤ教徒の画家って少ない(というかいない?)みたいなんですが、近代以降は素晴らしい画家たちがたくさんでてます。
そのあたりのいきさつ(キリスト教社会への同化や、社会からの排除、etc…)から、順を追って解説してあるので、苦も無く読み勧められますが、『離散するユダヤ人』の思想史に対する見方同様、読み終わったときは、美術に対してまた多方面から深く鑑賞できる気がします。
上記2冊では「個人」についてはあまり深く触れられてませんが、この本では“画家”という側面から、離散した民族の個人の「生」からいろいろな事を知る事ができる。
スペインからの追放者(セファラディ)だけでなく、ドイツ、ロシア、東欧出身のアシュケナージと呼ばれる画家の話もたくさん紹介されています。
(というか、セファラディ系の画家は、ベラスケスとカミーユ・ピサロくらいかな。。。)
いろいろと印象深いエピソードがあるんですが、ずらずら書くと・・・、
ベラスケスの時代はちょうど異端審問の時代なんで、どれだけ苦労してきたんだ、と思うと同時に、その才能でここまで生き延びてきたのか、と絵の素晴らしさだけでなく画家本人の人生に圧倒されますね。
そして私の大好きな画家の一人シャガールの「アポリネール礼賛」という作品の謎解き(これは『離散するユダヤ人』でもちょこっと出てくる)がとても興味深かった。
また、今まで知らなかった画家で強烈な印象だったのは、マウリツィ・ゴットリープという人。
特に、「贖罪日」という絵が、カラー図版で載ってるんですが、なんともいえず鬼気迫る迫力がある。
この絵の解説を読むと、先祖の霊が見えて描いた、というような事が書いてあるんですが、小さなコピー写真からでも、描かれている人の視線がものすごい眼力で「こっち見てる!」って感じがして、ドキッとするんですね。。。
ホント、凄い画家がいたんだな~と思います。
また、カミーユ・ピサロの絵、というか印象派というのは、今では表現方法として違和感ないものですが、当時はピサロのような点描画の手法なんかは「非常識」であり、「革新的」だったと聞いたことがあります。
が、当時、こういった点描画を「目の病気」(先天色覚異常)だとか、ユダヤ人はわずかな数の色しか認識できないとか、「人種」的問題として差別に結びつけるような理論もあったのには驚く。
(この頃(19世紀)には、フランスでは「ユダヤのフランス」なる今でいうユダヤ陰謀論的トンデモ本が出回って、28年間の間に200版まで増刷されるベストセラーになるなどしたらしい。そんな時代背景にも驚いた。)
ここまで上記3冊の本を通して感じたのは、虐げられてきた人々が生み出した優れた思想や美術が、結局のところ自分達を迫害してきた社会を転換する影響を及ぼしている、という歴史のダイナミズムのようなものがあるのだ、ということ。
様々な民族や人種が互いに排除しあっていても、結局はどれか一つの集団だけでは「発展」なんかなしえないのではないかと思うのです。
そう考えると、単一化する社会の未来って暗いなぁ、という気がしてきます。
さいごに
異端審問から始まってユダヤ系の思想史、美術史の話になってしまっとりました。
が、どれも意外とあまり語られてない話でもあります。歴史のメインストリームとして知っている事柄だけでは表面的な話になって、結果的になんかよく分からない、ってなることが多いんですが、こういう話を知るとちょっと見方が変わってきますね。
で、セファラディ、といえば、以前アルゼンチンロックの話を書いたときに出てきた、Ariel Rotと女優セシリア・ロスの母、Dina Rotという人がセファラディの歌を歌っていた、という思い出した。
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Dina Rotってセファラディの歌を歌っているからその末裔かと思いきや、アシュケナージの家系だそうですが、
若い頃スペインに渡ったときにレコンキスタ以前の中世のいろんな音楽を研究・採取していてセファラディの歌に出会って歌い始めたらしいです。
ladina(ラディナ語)というのが、セファラディの人たちの言葉のようですが、この歌はそのladinaで歌われているようです。
今のスペイン語とよく似てる!