最近読んだ本 ~ 英語のつまづきと日本語の「苦闘」

最近読んだ本 ~ 英語のつまづきと日本語の「苦闘」

英語を勉強し直そうと思ったものの、マジメな参考書を読むのが嫌だったので気楽に読めて勉強になりそうな本などを読んでいました。

英語と日本語は構造から違うとはよく言われるものの、あまり普段はそこまで意識することないですが、たまに考えてみることも勉強には有効な気がします。

「ドーナツ半分は単数形?複数形? 英文法の謎に迫る33章」

ドーナツ半分は単数形?複数形? 英文法の謎に迫る33章

正直、英語で苦しんでいた高校生の頃にこういう本を読んでいたら、もう少し苦しまずに済んだのに!と思う本。
私の場合、学校では単純な暗記ばかりさせられて、「なぜこう言うのか?」という根本的な説明はほとんど聞いたことがなかったので、この本を通して英語の特徴を改めて考えさせてもらったのは、とても良かったと思います。

英語と日本語の文の構造の違い、the・aといった冠詞の付け方、物の数え方、形容詞の修飾の順序、時制、などなど、
基本的すぎるんだけど、今一つ自信もって分かっているとは言い難いテーマについて、「なぜそうなるのか?」一歩突っ込んだ説明がなされていて頭に入りやすかったですね。

ちょっと受験英語?のおさらいぽい感じもありますが、言葉の背景や価値観を考えながら学習することは、語学学習には大事な点だなとつくづく感じます

英語は共通のバックグラウンドを持たない人同士のコミュニケーションが前提だということを再確認。

万葉仮名でよむ『万葉集』

万葉仮名でよむ『万葉集』

日本語の形成過程を「万葉仮名」で読み解くことで明らかにしようとする試みの本。

書家でもある著者が、「書」の観点、「文字を書く」行為から日本語を別の見方から示してくれる本書は、今まで聞いたことのある日本語論とは違う視点があって驚きがありました。

本書の著者によると、日本語とは3つの言語の総体(漢字語、ひらがな語、カタカナ語)だと言う。
日本語を書き表すのに3種類の文字があるというより、3言語のまとまりが日本語だそうだ。

漢字語とは中国語(または中国由来の言葉)、ひらがな語は日本列島で話されていた「倭語」、カタカナ語は外来語の表記の言葉、という。
さらに、「倭語」も、日本に独立してあった固有の言語というよりは、中国から入ってくる言葉に刺激を受け、変化して生まれてきたものだという。

「万葉集」は日本で最初に編まれた歌集だが、その編集当時はひらがながまだない時代だったから、全て漢字で書かれている
これが「万葉仮名」と呼ばれているもので、
この「万葉仮名」の使い方を見ていくと、万葉集の初期と後期では随分その使われ方が違うらしい。

初期は、和歌というよりも漢詩に近い形式で書かれているのが、後期になるにつれて漢字の意味より「音」を意識して書かれており、いわゆる当て字的な使い方で一文字一音になる。
(かといって、感じの意味が全て無視されている訳ではなく、意味もある程度考慮して当て字されているから面白い。)

こういった表記の変遷が例示されるうちに、日本語の形成過程が「苦闘」に見えてきて、日本語も最初からこんなカタチだったんじゃなかったんだな、と不思議な気持ちになります。

その中で興味を惹かれたのは、いわゆる「てにをは」助詞の誕生についての指摘。
「てにをは」なんて言うと、いかにも日本語の特徴、って思ってたんですが、
これも実は中国語の影響があるのではないか、という問題提起がある。

万葉集で「てにをは」に当たる部分は、中国語の助字(而とか)が充てられているらしい。
また、中国の周辺国(朝鮮語、モンゴル語など)に膠着語(こうちゃくご。ニカワでくっ付けるという意味で、ある単語に接頭辞や接尾辞のような形態素を付着させる言語)が多いのも何か関連があるのかもしれないという可能性を指摘されている。

実際どうなのかは素人には皆目見当もつきませんが、いろいろ想像が広がりますね。

さいごに

英語に始まる外国語に悩む日々ですが、日本語もけっこう難しい言語ですよね。。。

外国語を学ぶ際、いろいろな壁にぶつかることがあるが、それは外国語よりも自国語について無意識に捉えていることが壁になっているのかもしれない。

と思う反面、こんな難しい日本語を話せるんだから、ほかの言語も頑張ってみるか、って気もする。