[スペイン語の成句メモ]ちょっと意地悪な表現。「追い出す」「ひどい目にあわせる」

[スペイン語の成句メモ]ちょっと意地悪な表現。「追い出す」「ひどい目にあわせる」

前回の音楽関係の単語に引き続き、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」スペイン語版
「Gauche,el violoncelista」(Montse Watkins訳 Luna Books 現代企画室)を読んでいて出会った成句(locución)について調べてみました。

jugar una mala pasada a alguien「~をひどい目にあわせる、汚い手をつかう」

– Maestro, no te enfades, que te perjudia la salud. ¿Porqué no tocas “Träumerai”, de Schumann? Te escucharé con mucho gusto.

– ¿Cómo puede tener tanta frescura un simple gato?

El violoncelista, furioso, se quedó pensando en cómo jugarle una mala pasada al felino.

– Adelante, no te dé vergüenza. ¿Sabes que no puedo dormir sino escucho ta música, maestro?

– ¡Qué desfachatez! Es increíble.
(p.124)

「先生、そうお怒りになっちゃ、おからだにさわります。それよりシューマンのトロメライをひいてごらんなさい。きいてあげますから。」
「生意気なことを云うな。ねこのくせに。」
セロ弾きはしゃくにさわってこのねこのやつどうしてくれようとしばらく考えました。
「いやご遠慮はありません。どうぞ。わたしはどうも先生の音楽をきかないとねむられないんです。」

夜な夜なゴーシュの元に動物がやってきて音楽講義(?)をする場面のひとつ、1日目の夜の生意気な猫が登場する部分です。

「聞いてあげますから」っていう生意気な物言いが「Te escucharé con mucho gusto.」(喜んでアナタの演奏を聴きましょう)。
おそらく話し方一つでニュアンスが大分異なる印象になると思われる一文ですね。

また、frescura(n.f.)「涼しさ、新鮮さ、さわやかさ」と言う意味で覚えていたのですが、「図々しさ、無礼、非常識」という意味もあるんですね。ここでは「生意気」に対応する使われ方ですが、一つの単語でも文脈でずいぶん意味が違ってくるから難しい・・・

mala pasada「ひどい仕打ち、汚い手段」

pasada(n.f.)「通過、軽いアイロンがけ」って覚えてたんですけど、mala pasada「ひどい仕打ち、汚い手段」って意味らしいです。

成句としては、
jugar una mala pasada a alguien「~をひどい目にあわせる、汚い手をつかう」
と辞書にのってます。

なんか深刻な感じの表現ですが、こんな風に使われてることも。

MIRA: El viento le juega mala pasada a Michelle Obama
http://voces.huffingtonpost.com/2015/06/19/michelle-obama-aire-juega-mala-pasada-fotos_n_7622900.html

ハフポストの記事ですが、リンク先を見ると、飛行機から降りてきたオバマ夫人のスカートが風にあおられてる写真が・・・

echar a alguien con cajas destempladas「~を叩き出す、追い出す」

También al día siguiente Gauche practicó con su violoncelo hasta bien entrada la noche.

Se detuvo a un momento a descansar y tomar un vaso de agua, cuando alguien llamó a la puerta.

Pensando que, fuera un cuclillo como el de la noche anterior a lo que fuera, lo iba a echar con cajas destempladas, salió a abrir con el vaso todavía en la mano.
(p.130)

次の晩もゴーシュは夜中すぎまでセロを弾いてつかれて水を一杯のんでいますと、また扉をこつこつ叩くものがあります。
今夜は何が来てもゆうべのかっこうのようにはじめからおどかして追い払ってやろうと思ってコップをもったまま待ち構えて居りますと、

3日目の晩のシーンで、この後、狸の子が現われます。

3文目のところに、成句「echar a alguien con cajas destempladas (~を叩き出す、追い出す)」というのが出てくるんですが、この文章ちょっとややこしいですね。

Pensando que lo iba a echar con cajas destempladas, salió a abrir con el vaso todavía en la mano.

pensarの現在分詞形で「~を考えながら」、主文はsalió以下で「手にコップを持ったまま戸をあけに出た」が直訳。

fuera un cuclillo como el de la noche anterior a lo que fuera,
この部分は挿入で、「接続法 + 関係詞 + 接続法」「~をしようとも、~であろうとも」のような意味になる構文かと思われる。(digan lo que digan los padres :両親が何を言おうとも)
直訳すると「昨晩のようなカッコウだろうが、そうでなかろうが」

で、lo iba a echar con cajas destempladas の部分ですが、lo(それを)追い出すつもりだと。

cajas destempladas(耳障りな太鼓)

caja(n.f.)は箱で、destemplado不快な、とか調子の狂った、って意味で、なんで「追い出す」になるのか不思議だったんですが、
cajaには「太鼓」と言う意味もあって、ここではcajas destempladas(耳障りな太鼓)という意味になるようです。

echar a alguien con cajas destempladas「~を叩き出す、追い出す」

これはもともと軍隊で生まれた言葉らしく、軍人を降格させるときとか、有罪判決を受けた人を処刑台に連れて行くときなどに、調子はずれの耳障りな太鼓を叩き鳴らす習慣があって、そこから来た表現らしい。
そういえば何の映画だったか忘れたけど、誰かをどこかに引き連れていくのに、やかましく太鼓を連打しているシーンを見た事があったような。それと同じかな。

http://blogs.20minutos.es/yaestaellistoquetodolosabe/de-donde-proviene-la-expresion-echar-con-cajas-destempladas/

さいごに

cajas destempladas(耳障りな太鼓)のところですが、このあと狸の子が太鼓の練習をしてくれ、ってやってくるわけですが、
太鼓に関係する成句をわざわざ選んだ訳にしたんでしょうかね。深読みしすぎかな・・・

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